オーストリアの民族衣装

オーストリアの民族衣装は、地方色やアルプスの個性を表していて、その奥には様々なストーリーが込められています。オーストリアの民族衣装はどのように発展してきたのでしょうか。

女性の民族衣装、ディアンドル

現在知られているスタイルのディアンドルは、19世紀の終わりから、実際田舎でよく着られるようになりました。一方、「トラッハト」(民族衣装)は、古いドイツ語で「着るもの」という意味から派生した言葉で、15世紀に端を発しています。その当時、領主たちは、領民がどの職業で、どの立場の人間か、見てすぐわかるように衣装で区別をしていました。そして、農民が衣装を独自に変化させたり、自由にデザインすることは禁止されていました。例えば、ザルツブルク大司教区では、領民が赤や青の服を着ることはできませんでした。民族衣装は中世後期の終わり頃まで、アルプス地方では領民の制服のようなものだったのです

しかし、このような制限や禁止にも関わらず、時代の変遷と共に、地方や渓谷ごとに、柄、型、色など独自の特徴を呈するようになっていきました。特筆すべきものでは、ザルツブルク州のフィルツモースのディアンドル、ケルンテン州のラヴァミュントの日曜に着る衣装、シュタイヤマルク州のアウスゼーの有名なディアンドルなどがあります。このように、オーストリアは、地域の多様性と住民の創造性によって、数えきれないほどの多種多様の民族衣装がある国なのです。

そして忘れてはならないのは、それぞれの伝統生地の生産者たちの伝統柄を集める飽くなき情熱です。世紀を超えた昔のパターンと色が収集されているおかげで、伝統は守られ、現代のデザインによみがえっています。

男性が着る民族衣装

オーストリアの伝統的な男性の民族衣装「トラッハト」は、ジャケットに「レーダーホーゼン」を履きます。トラッハトは、主にフォーマルな場面で着用されるジャケットスタイルの衣服で、上品でクラシックなデザインが特徴です。通常、ウールやリネンなどの自然素材で作られ、様々な色や模様が施されています。

一方、レーダーホーゼンはカジュアルなスタイルで、ショートパンツの形をしており、一般的には革で作られています。これは、狩猟や農作業の際に着用されることが多く、実用的で耐久性があるのが魅力です。レーダーホーゼンは、しばしば刺繍や装飾が施され、地域ごとの特徴が見られることもあります。

これらの民族衣装は、オーストリアの文化や伝統を象徴しており、特にお祭りや特別な行事の際に広く着用されています。観光客にも人気で、オーストリアの美しい自然や歴史を感じることができる素晴らしい衣装です。

アクセサリー

トラッハトのアクセサリーは、オーストリアの民族衣装をより一層引き立て、着る人の個性や地域性を表現する大切な要素です。伝統的な行事やお祭りでは、これらのアイテムが一体となって、オーストリアの豊かな文化を感じさせてくれます。

 

帽子 
オーストリアの男性が着用する帽子はウールやフェルトでできており、しばしば大きな羽や装飾がついていることが特徴です。これにより、身につけた際に特別な存在感を持つことができます。地域によってデザインや色が異なり、その土地の文化を反映しています。

 

靴下 
民族衣装に合わせる靴下は、通常は膝下までの長さの「ハイソックス」が選ばれます。これらの靴下は、ウールやコットン製で、時には美しい模様や色彩が施されています。レーダーホーゼンとの組み合わせが多く、全体のコーディネートを引き立てます。

バッグ
民族衣装に合わせるバッグとしては、「ルンデ」と呼ばれる伝統的な小さなバッグがあります。通常はレザーや布で作られ、装飾的な刺繍が施されることもあります。実用性に加えて、衣装全体の美しさを引き立てる役割も担っており、特にお祭りやイベントの際には重要なアイテムとなります。

代表的な伝統生地とパターン
これらの柄は、絹や、麻や綿の生地ばかりではなく、包装紙などにも利用されています。オーストリアの伝統柄の歴史を通して、田舎のテキスタイルの多様性に巡り合ってください。
宮廷紋織り

皇妃エリザベートはその時代におけるファッションの先駆者でした。彼女のお気に入りの織物の一つに、細かなジャガード織りがあります。この生地はオットー・フレンミッヒ社から仕入れていたことはおそらく間違いはないでしょう。フレンミッヒは170年以上も続くウィーンにある家族企業の織物会社で、多数のカラーバリエーションを持つ高級絹生地は世界中のデザイナーに利用されています。

昔ながらの貴重な柄と色

フレンミッヒ社の古い棚と書庫には、宝とも言える、8万種類の配色を持つ4000種類の柄が山と積まれています。いつでも手に取れる100年を超えるコレクションは時代に合った形で新しく蘇ります。すべての意味で伝統と現代が融合するすばらしい例です。

何世代にもわたる織物

180年以上前に、フランツ・フィーボックはシェーネッグに「グルーアップ麻織物工場」を開設しました。それは、時代を超える偉業と言えます。なぜなら、ミュールフィアテル地方で生まれた当時の柄は、今日に至るまで受け継がれ、コンテンポラリーなデザインにも使われているからです。もっとも、麻や綿は自然素材で、時代が変わっても持続可能な繊維です。

高級シルクは手間を惜しまぬ工程から

美しい印象的な民族衣装のシルク生地は、熟練の職人により生まれます。非常にたくさんの色の細い糸を巻くときは、忍耐と細部にわたる注意力が必要です。技術があってこそ、高級シルクができます。

民族衣装の親善大使でもあった、あのファミリー

1940年、50年代、トラップファミリーは世界で2000回ものコンサートを開き、オーストリアを有名にしました。舞台には女性はディアンドル、男性はトラッハトを着て立ったので、民族衣装の親善大使でもあったのです。そのファミリーとは、5つのオスカー賞を獲得した映画「サウンド・オブ・ミュージック」で描かれたトラップ一家です。

ブルゲンランド州のブループリント

ブルゲンランド州のブループリントは、青色染料を布地の上に刷り込むのではなく、生地を青色染料に浸けて染色します。パターンなどのデザインエレメントのフォトグラムは 布地に付着させ 、それから、布地を洗った後に取り除かれます。 模様は、布地の残りの青色に対して白く現れます。現在オーストリア全国にほんの2か所のみ繊維のブループリントができる工房があり、そのうちの1つはブルゲンランド州のコーkooにある家族経営の染色工房です。

ディアンドルの実際の歩み

女性の民族衣装、ディアンドルは現代では田舎のファッションではなく、都会のファッショントレンドです。19世紀末、上流階級の婦人たちが、とくに夏の避暑地で快適な服装として着始めました。ボディスのフィット感と、動きやすい広いスカートがアルプスのハイキングや散策に大変便利だったようです。

労働者と芸術家のための布地

農家の作業着の生地に、コットンが麻に代わって使われるようになったのは19世紀末頃になってからです。一方、ワラーゼーのヘンドルフという村に住む芸術家、カール・マイヤーは、1910年頃、自分のデザインする服に丈夫な生地を使い始め、ファッション界に革命を起こしました。ヘンドルフは芸術家達の間では、大変人気のある村で、やがてザルツブルク音楽祭にやってくる人々が次々と彼のデザインを取り入れ、麻の服が大流行となりました。

藍染の長い道のり

ディアンドルの生地に藍染が使われるようになるには長い道のりがありました。この複雑な染はインドに端を発しています。アムステルダムの二人の商人がヨーロッパに持ち込み、藍染職人がヨーロッパ大陸中に広めたのです。産業革命においてはすっかり廃れてしまったとも言えますが、今日ではまた注目を集めています。

ヴァルトフィアテル地方の高級テキスタイルの美

1870年よりバックハウゼン社はヴァルトフィアテルのテキスタイルの伝統と知識を保護し維持してきました。この会社は3500種以上のオリジナルデザインを作り上げてきました。その中にはユーゲントシュティール(アールヌボー)様式とウィーン工房のデザインも多く含まれています。豊富なアーカイブは、この分野では最大級のもので、幾世代にわたりデザイナーたちにインスピレーションを与えています。

日常にティアンドルを着る

例えば、緑は森や草原を、スカートのピンクはアルペンローゼの花を、そしてエプロンの紫はリンドウを表しています。アウスゼー地方のディアンドルは通常、麻か綿の生地で作られています。それは日常の衣服であり、洗濯しやすいからです。ただ今日では、よりエレガントなバージョンもあり、シルク製のブロック印刷のエプロンなども出てきています。

ブレゲンツの森地方の民族衣装

ブレゲンツの森地方の女性たちは、襲撃者たちに向かって勇敢に行進して行った。白い服を着た女たちの姿を見た襲撃者は、女たちを天使だと思い込み、向きを変えて逃げ去った。それ以来、女性たちは、あの世の者と間違われないようにするために、暗い色のスカートを履くようになった・・・と伝説は伝えています。

夫たちが仕事で行ったさまざまな国から、ブレゲンツの森地方に帰ってくる時には、愛情の証として、毛皮やリボン、金細工製品や特別な織物など、異国情緒のあるきらびやかな品々を買い求め、妻たちのために持ち帰ってきました。これらの品々は、彼女たちの晴れ着に宝石のように組み込まれました。これが、きっちりとプリーツをつけたハイスカートと、ボディス(女性用胴着)、袖、エプロンと、飾り付きのベルトから構成された、ブレゲンツの森地方の女性たちが着る「ユッペ」と呼ばれる民族衣装の起源です。この美しく豪華な衣装は、アルプス地域で最古の女性用の衣裳であると同時に、マドリッドやモスクワなどの服飾スタイルの要素を引用してコーディネイトした特別な衣裳でもあります。

民族衣装「ユッペ」の模範工房と博物館
民族衣装「ユッペ」の模範工房と博物館は、350年前の建物の中に造られた、一見の価値がある、近代的で建築構造上素晴らしい施設です。
開館期間:5月から10月
住所: Dorf 52, Riefensberg
www.juppenwerkstatt.at

リーフェンスベルクのユッペン工房協会
この協会では、「ユッペ」制作のすべての作業工程を紹介する、ガイド付きツアーを行っています。ユッペン工房のガイド・ツアーのご予約は、リーフェンスベルク観光局までご連絡ください。www.riefensberg.at

アウスゼーの木版手染めプリント

アウスゼーの木版手染めプリントは、薄い織物に独特の素晴らしい輝きを与えています。この手染め方は、無限の創造性を秘めています。ウールや、麻や、絹の布地を染色する時に使用される木版は、すべて他に類のない貴重なもので、工房にとってとても大切な財産です。

木版手染めプリントの技法は、1930年にアウスゼー地方の民俗衣装の最大のコレクターの未亡人、アンナ・マウトナーが、味気ない大量生産品から地方の伝統的な衣装の品質を保護するためにこの地に伝えたものでした。このウィーンの上流階級出身の淑女は、古い文様木版を多数集めてコレクションを増やし、木版プリントの職人に刷りの技術を教えてくれるように頼みました。自身の芸術的才能を発揮した彼女は、新しい化学染料のお陰もあり、すぐに藍染から多色染めへと技術を発展させることができました。彼女の作る服や生地は、民族衣装に完璧なまでに適合したために、アウスゼー地方だけではなく、マウトナー婦人が所属する上流社会の間でも、すぐに称賛されました。

アウスゼーの木版手染めプリント工房
アウスゼーの木版手染めの芸術家たちの魅惑的な世界に浸ってください。
生涯の宝となる一点ものを、多くの賞を獲得している芸術家たちに発注してみませんか!

1930年創業、マウトナードゥルッケ
工房と店舗
www.mautnerdrucke.at

シルク手染めプリント工房 セップ・ヴァッハ
www.handdrucke-seppwach.at

木版手染め工房 セキラ
www.handdrucke.at

クリスティアーネ・エーダー工房
Bahnhofstraße 241
8990 Bad Aussee
Tel. +43 3622 53466

州ごとの代表的な特徴

チロル州
チロルのトラッハトは特に有名で、男性は「レーダーホーゼン」と呼ばれる膝丈のパンツを着用し、女性は「ディルンドル」と呼ばれるフレアのスカートやブラウスを着ます。明るい色合いや自然をテーマにした模様が多いです。

 ザルツブルク州 
ザルツブルク州では、女性用のディルンドルが特に豪華で、刺繍やレースが多く施されています。男性は伝統的なドレッシングスタイルで、通常はシンプルなデザインが好まれます。濃い色合いの生地や装飾的なベルトが特徴的です。

シュタイヤマルク州 
シュタイヤマルクのトラッハトは、ウールやリネンなどの自然素材が多く使われ、実用性が重視されています。特に農業が盛んな地域に見られます。
地域によって異なる色合いがありますが、自然を反映した落ち着いた色が多いです。

フォアアールベルク州
特に細かい刺繍や装飾が多く、女性用のディルンドルは非常にスタイリッシュです。明るい色合いと複雑な模様が特徴です。

ウィーン
 ウィーンの民族衣装は、都市の洗練されたスタイルが強調されています。特に、女性のディルンドルはファッション性が高く、華やかなデザインが多いです。
高級感のある色合いやデザインが特徴で、パーティーシーンでも見られます。

代表的なオーストリアの民族衣装店

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