オーストリアの歴史ある小都市を巡る
ここでご紹介する4つのコースで訪れる歴史ある小都市は、オーストリアの発展に重要な役割を果たし、様々な物語を生み出し、今に伝えています。川がまだ主要な輸送と交通ルートであった時代、イン川やムーア川などの交通の要所であった、川沿いの町々は時代と共に発展を遂げ、商業の町として、工業の町として、またワインやビール文化が息づく町として、繁栄してきました。これらの美しい地方の小都市を訪れ、オーストリアの歴史と文化を肌で感じてみてください
テーマ:ビール、交易の町
訪れるところ:4都市
周遊の所要時間:車で約2時間半
距離:185㎞
州:オーバーエステライヒ州、ザルツブルク州
シェルディングは経済上重要なイン川沿いの交易の町として大きな役割を果たすとともに、早くから政治的な活動も活発に行われていました。塩、木材、鉱石、ワイン、絹、ガラス、トウモロコシ、織物、家畜などを扱うイン川沿いのこの町のギルドは、常に町に大きな繁栄の足跡を残してきました。古い大きな建物の正門、バロック式の破風、閑静な街角、趣のある狭い路地、力強く幅広いイン川、牧草地や森林にまでも当時の繁栄の面影を見ることができます。またこの町はビールの醸造も400年以上にわたり行われています。
活気溢れるバロック都市シェルディングの独特の雰囲気は、著名な画家や作家は言うに及ばず、新たにこの地を訪れる人々を完全に魅了してきました。週ごとに立つファーマーズマーケット、蚤の市や沿道のカフェ、100年の歴史を持つビール居酒屋など。この町が持つさまざまな楽しみを体験せずにはいられません。
シュルディングからイン川沿いに南下して車で30分ほど走ると、750年以上の歴史と多彩な顔を持つ商業都市、ブラウナウがあります。ザルツブルクより北60km、ドイツと国境を接した都市です。立地が良いため、ブラウナウは常に交易都市として重要な役割を果たしてきました。よく保存されている色とりどりに装飾された切妻の家々が並ぶシュタットプラッツ広場や、美しい旧市街を散策し、活気あるお店のウインドウを覗いたり、あるいは、カフェで飲み物を片手にリラックスしたり、レストランで食事を楽しんでください。
最後に訪れるのはザルツブルク州の日当たりの良いエンスタール渓谷沿いにある中世の町ラートシュタットです。市の城壁、教会や修道院、町並みが旅人を迎えます。この町は遠くイタリア北東部の都市、アクイレイアからザルツブルクに通じるラートシュタット・タウエルン山脈のローマ街道沿いの要所でした。13世紀の終わりには町から市へ昇格し、商業の中心地として栄えました。700年前に設立されたラートシュタットの市民護衛隊は今も継承され、宗教行事や10月の収穫祭、12月初めのクランプスの祭りには、中世の服装で行列に加わります。明るい自由都市ラートシュタットは休暇の中心地として、ザルツブルクやグロースグロックナーへの足場ともなります。
さらに80kmほど南下し、ザルツブルクを越して次に訪れるのは、ケルト時代からの町で、ザルツァッハ川畔に佇むハラインです。塩の採掘により、何世紀にもわたって大いなる繁栄をもたらしました。ハラインは美しい中世の中心街を誇り、印象的な家々と開放的な広場、可愛らしい路地が特徴で、それらを実際に目にすると、ハラインの歴史的旧市街がなぜ歴史的記念建造物に選ばれたかが良く分かります。
活気に満ちた歩道のカフェやジェラートのお店、ビストロや居酒屋から、優れた顧客サービスを提供するトレンディなブティックやショップに至るまで、マスプロ製品では得られない真に美しい宝物に溢れています。このようにハラインには、選ぶのに苦慮するほど良いものがたくさんあります。ハラインを特徴づけるもう一つのユニークなものが、ペルナーインゼル島です。街の真ん中でザルツァッハ川を二分する位置にあるこの島には、歴史的な製塩所があります。1989年に操業を停止したあとは、前衛演劇や現代音楽のパフォーマンスの会場として改装され、ザルツブルク音楽祭でも定期的に使用されています。
ご存知でしたか?・・・クフシュタインがギネスに載っているのを
その理由はお酒です。クフシュタインには世界最大のジンコレクションを持つ地下道があります。ここは、もともとビールケラーでしたが、今日では世界最大のジンバー「シュトレン1930」が営業し、900種類のジンを楽しむことができます。
テーマ:ビール、鉄、陶芸、皇帝
周遊の所要時間:車で約3時間半
距離:225㎞
州:オーバーエスターライヒの4都市
リンツの北35kmのビールの町、フライシュタットからスタートです。中世からビールの醸造をしているフライシュタットにはヨーロッパで現存する唯一のビール醸造コミューンがあります。フライシュタットにとって、ビールは飲料としてだけではなく、文化そのものです。見所としては27の美しい中庭、7つの塔、2つの城壁門があります。ほぼ完全に保存された市を取り囲む城壁や、美しい歴史的な建物を見ながら、歴史に思いを馳せてください。街をのんびりとそぞろ歩きした後は、愛らしくデザインされた市立公園やガストホーフで一休みし、高さ50メートルにある城郭資料館(シュロスミュージアム)を訪ねてください。
フライシュタットから1時間ほど車で走ると美しい町、シュタイヤーに着きます。980年頃、シュタイヤマルクのオッタカール辺境伯たちが、ランベルグ城を建設したのがこの地への入植の始まりです。シュタイヤーは鉄鉱山があるシュタイヤマルクから鉄の道で鉄が運ばれ、古くから製鉄技術の伝統がありました。19世紀には装式ライフルの大量生産が行われ、現在では自動車生産において、その伝統が引き継がれています。
シュタイヤーはザルツブルクとウィーンの間にあるオーストリアのロマンチック街道の真ん中でエンス川とシュタイヤー川が合流する地点にあり、古の都市の芸術的な建築物の宝庫と呼ばれています。
街には数え切れないほどの歴史的な建物があります。ランドマークであるゴシック様式のブンメルハウスを中心としたロマンティックな広場は、ヨーロッパで最も美しい広場の一つと称されます。現在のシュタイヤーは、豊かな過去の伝統と、躍動するモダンなライフスタイルが調和よく共存した魅力あふれる街です。
シュタイヤーから湖水地方のザルツカンマーグートに移ります。トラウンゼー湖畔には、古くから芸術家や陶芸家が集まってきました。南部のセンスの良さと、すばらしい家々やファサードが印象的な15世紀から18世紀に遡る歴史を持つ中心街のある、魅力的な小都市グムンデン。この街は、かつて塩の交易の中心地でした。ルネッサンス様式の市庁舎には、オーストリアで唯一の磁器製のチャイムがあります。ザルツカンマーグート地方で最も古い建物の一つで、街のランドマークにもなっているのが、トラウン湖に佇むオルト城です。船好きの人には、150年も前に造られた「ギーゼラ」号に乗ってノスタルジックな船旅がお勧めです。
ザルツカンマーグートで次に訪れるのは、バート・イッシュルです。
バート・イッシュルと切っても切れない縁があるのが、皇帝フランツ・ヨーゼフと皇妃シシィです。1823年、オーストリア初の塩水のスパがオープンし、そのわずか4年後に後の王妃となるソフィー(フランツ・ヨーゼフの母)が、バート・イッシュルに健康療養のためにやってきました。その後何年かの間に、元気な4人の王子が生まれました。フランツ・ヨーゼフがバート・イッシュルを初めて訪問したのは1849年でした。ここで彼はエリザベートとの婚約を祝いました。世紀の変わり目に、著名人、貴族、国家元首など多くのVIPがバート・イッシュルを訪れ、その中にはこの街で24ものオペレッタを作曲したフランツ・レハールも含まれています。
バート・イッシュルは、1929年に健康リゾートの地位を与えられました。療養のための温泉地として、バート・イッシュルは175年以上も役割を果てしてきました。近隣の森、のどかな牧草地、美しい山並みとすばらしい環境に恵まれたこの地は、世紀の変わり目以来、ハイキングのデスティネーションとしても人気があります。
この街を訪れたら、有名なカフェ・ツァウナーのコーヒーとケーキと、夏のレハールのオペレッタ音楽祭は、見逃せないすばらしい体験です。
テーマ:商業の要所
訪れるところ:4都市
周遊の所要時間:車で約3時間半
距離:280㎞
州:チロル州、フォアアールベルク州
最後に訪れるのはシュヴァーツから北東に50km行ったクフシュタインです。 ランドマークのクフシュタイン城塞には、何世紀にもわたったチロル文化の歴史が詰まり、現在に伝えられています。原型は13世紀初頭に建てられたこの城塞へは、ガラス貼りのマクシミリアン・リフトに乗ればヨーゼフスブルクに数分で到着します。城塞には世界最大の野外オルガンがあり、また、クフシュタイン郷土博物館やさまざまな展示品を見ることができます。
歴史ある城塞の街、クフシュタイン旧市街には魅きつけられるものがあります。伝統的な家々が立ち並び、歩いているだけでも楽しいレーマーホーフガッセでは、世界的に有名なクフシュタインの歌「チロルの真珠」の作曲者、カール・ガンツァーの記念碑にも出会えます。ショッピングセンターや各店が軒を連ねる中心街や歩行者天国は、そぞろ歩きにもぴったりです。レストラン、アウラッハー・レッフルでは「チロルのタパス」がお勧めです。その他いろいろなチロルの郷土料理が楽しめます。
西へ160km走り、チロル州、イン渓谷にあるシュヴァーツに行きましょう。この町は銀山で富をなしてきました。1500年にはすでに最も栄えた鉱山都市の中心であり、町に立つ銀山の記念碑がそおの当時の豊かさを今に伝えています。その当時、産出された85%銀がここから掘られたもので、シュヴァーツ銀山はハプスブルク家の大きな財源として「あらゆる鉱山の母」と呼ばれました。現在見学できる中世一の銀山や、チロルで最も大きいゴシック様式で、屋根には14000枚以上の銅版が使われた教区教会、16世紀初頭に建てられ、昔の商業取引所であった市庁舎、1525年のフッガー家の屋敷、ザルツブルクの歴史的に有名な医者、パラセルススが宿泊したオルグラーハウス、皇帝マキシミリアン一世が建てたフランチスカーナー修道院などが見所です。
次にフェルトキルヒからわずか東方へ25kmのブルーデンツを訪ねます。チロルとスイスの間にあって、アルプスの5つの渓谷の中心地に位置する風光明媚なアルプスの街ブルーデンツは、魅力的な旧市街と、心そそるチョコレートの香り漂う地中海風アーケードが、訪れる人々を惹きつけます。
アールベルク山を越える古代の交易ルートに位置するブルーデンツは、何世紀にもわたり地域の重要な交易の中心地でした。モンタフォン、ブランドナータール、クロスタータール、ヴァルガウ、グローセス・ヴァルザールタールの5つの渓谷の玄関口にあたるこの街は、休暇にも最高のロケーションです。フォーアールベルク州のこの市は、伝統的に暖かいもてなしの心と、魅力的な歴史と地中海風スタイルで人々を魅了する、人気ある観光地です。
今日もよく保存されたブルーデンツは、ヨーロッパで最も美しいアルプスの都市の一つと言われています。歴史的旧市街(歩行者専用地区)は、北部アルプスの特徴と地中海風の様式との融合が見られる魅力的な地区です。聖ローレンティウス教会(1491年~1514年)とガーイェンホーフェン城(1746年)が、街の景観を形作っています。活気溢れる街の中心には、多数のカフェやさまざまな料理を出すレストランが建ち並ぶほか、商業の中心地としてのこの地域を支えるお店も多数軒を連ねています。
オーストリアの最西端の町から巡っていきましょう。人口33,000人のフェルトキルヒは古い歴史と現代生活のリズムが溶け合ったユニークな魅力を持っています。町の細い路地を歩けばそこは中世の世界です。町の象徴であるシャッテンブルク城は、13世紀に立てられました。城内には郷土博物館があり、城主だったモンタフォン伯や町の歴史にちなむ展示品があります。旧市街の昔の城壁に設けられた有名な「猫の塔」は、フォアアールベルク州で持っても高い塔とされています。家々のファサードや城門の数々は古い歴史を物語っています。7 月の末には毎年、20カ国以上から曲芸師が集まり、町のいたるところが舞台となります。
テーマ:温泉、ムーア川
訪れるところ:4都市
周遊の所要時間:車で約4時間
距離:345㎞
州:ニーダーエステライヒ州、シュタイヤマルク州
ウィーンから南西に列車や車で30分のバーデンは、温泉と文化の町です。2000年以上前、ローマ人はこの町に湧き出る温泉が治療効果を持つことを発見しました。皇帝フランツ・ヨーゼフ一世はこの地に夏の避暑で滞在し、貴族や芸術家達が多く集まり、19世紀終わりにはオーストリア・ハンガリー帝国時代の高級保養地として大変栄えてきました。劇詩人グリルパルツァー、音楽家ではモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シュトラウスなども好んでバーデンに滞在し、作曲活動にインスピレーションを与えてきました。ベートーヴェンは15回も避暑に訪れ、1823年の夏、交響曲9番を作曲しました。今日では作曲した家は「第九の家」として博物館になっています。今日、バーデンはオペレッタの町としても有名です。市立劇場、700席のサマーアリーナではオペレッタ、演劇、ミュージカルが上演されています。
オーストリア最大のカジノ、会議場、14の源泉から湧き出る硫黄泉の効果で温泉治療が有名なローマ温泉施設があります。
この町の経済を支える最も重要な二本の柱は、ブドウ栽培と温泉です。ビーダーマイヤー時代(19世紀)に、その建築様式、芸術、園芸術が開花しました。オットー・ワグナーらの建築家たちは、各所に壮大な大邸宅や宮殿、美しい広場を造り、大きな足跡を残しました。バラ園(ロザリウム)ではシーズンになると3万本の各種のバラが咲き、夜はワインを楽しむことができます。
グラーツの北約50kmに位置するブルック・アン・デア・ムーアは、今日重要な交通の合流点であり、シュタイヤマルク北部の山岳名所への出発点です。グリーンレイクのあるホッホシュヴァープもここからすぐ近くです。
ブルック・アン・デア・ムーアは、シュタイヤマルク州ではもちろん、オーストリアで最古の都市の一つです。その歴史は9世まで遡り、町として制定されたのは1263年です。ブルック・アン・デア・ムーアの中心街は、優れた建築物の宝庫です。この繁栄した商業都市は、何世紀にもわたり、ムーア川とミュルツ川との合流点に位置する好立地条件を謳歌しています。その豊かさは、ここに建ち並ぶ歴史的建造物が物語っています。
この街のランドマークは、1495年に建てられたゴシック建築のコルンメッサーハウス。この名前に因んで、ブルック・アン・デア・ムーアは、15~16世紀の豪商、コルンメッサーの都市として知られています。コルンメッサーハウスの景観は、都市文化と、昔のままの美しいシュタイヤマルクの山岳とが見事に融合しています。
魅力あるこの街の中心街は簡単に行く事ができます。時計台が特徴的なシュロスベルク城塞から眺める街の眺望は、一見の価値があります。
ブルック・アン・デア・ムーアからムーア川沿いに西に65kmほど行ったユーデンブルクを訪れます。近郊のシュトレットヴェークで発掘された有名な紀元前6世紀の「シュトレットヴェークのカルトワゴン」(女神を乗せた儀式用の四輪の馬車)などの先史時代の出土品は、この地域の古代の植民地や農業地域の様子を物語っています。12世紀初頭、ユーディンプルフと呼ばれていたユーデンブルクは最古のシュタイヤマルクの交易入植地として発展しました。
この地は1224年に町となり、13世紀から14世紀かけてこの商人の町と貴族の領地が統合され、外壁に囲まれた1つの町を形成しました。現在、町のランドマークは4層建ての高さ75mの塔です。
この商人の入植地は、ヴェニスとウィーンとを結ぶ重要な交易の中心地でした。そのため、古のヴェニスの商人が伝えたヴェニス風の魅力を今日も遺しています。
この街には伝統とモダンなスタイルが調和よく共存しています。ファーマーズマーケットを訪れたり、ひなびた居酒屋で郷土の食事をしたり、ムーアタール秋祭りなどで、民族音楽を耳にすると、今なお民間伝承が豊かに息づいていることが実感できます。
芸術活動、フェスティバル、さまざまな市やリラックスしたパブ文化が融合したライフスタイルは、この地域の独自性と魅力と住みやすさを明快に表しています。
最後に同じ州内を南東に車で2時間ほど走り、スロヴェニアとハンガリーの国境に近いバート・ラートカースブルクを訪れます。1182年に初めてバート・ラートカースブルクの名が公文書に登場します。1299年に重要な商業の中心地が街として制定され、ハンガリーの攻撃に備えた要塞(城塞)として整備されました。
この街の経済的な繁栄は、貨物集積地(中央市場)の権利や、ワインの先売権など、多くの特権の根拠となりました。16世紀になるとオスマン帝国の脅威が増したため、イタリア北部から招かれた優れた建築家たちによって、要塞(城塞)は強化されました。
君主制の崩壊により、国境は再定義され、バート・ラートカースブルクはその市域を5割以上失いました。鉱泉と温泉のお蔭で、1970年以来街は景気上昇を謳歌しています。バート・ラートカースブルクは、1978年に優れた遺跡保護の功績により、オーストリアの街で唯一ヨーロッパ金賞を勝ち取りました。
ムーア川沿いのこの街では、商業と手工業が重要な役割を果たしてきました。さまざまな商業ギルド(組合)が経済と文化活動を支配し、今日まで引き継がれたバート・ラートカースブルクの古い手工業の技術の基礎を築きました。アーケードのある中庭、荘厳な建物、特色ある美術館(博物館)、中世の城壁が、この街に地中海風の特徴を与えています。